不登校について

2.家庭での関わり方とは?

我が子が「不登校」になったら… 家庭での関わり方

子どもの「不登校」について多くの保護者の方が言われます。
「どう関わっていいのか分からないんです…」

 詳しくお話を聴かせて頂くと、子どものためを思い考えられるだけの関わり方や言葉がけを行なってこられた方が多く、その背後には保護者の方の一生懸命さが伝わってきます。けれどもそれだけの働きかけを行なっても保護者の方の願い通りに子どもが登校を再開することは非常に稀で、多くの場合子どもたちは「不登校」を選択していきます。そうして悩み抜かれたその結果として、多くの保護者の方の語られる言葉が「どう関わっていいのか分からないんです…」というものです。

 ここでは東林館が長年の取り組みを通してお勧めしている「ご家庭での関わり方」についてお話させて頂きます。


「保護者の方の気持ちとして」

 子どもが学校を休み始め「不登校」になったとき、家庭での関わり方が最も大切になってきます。「不登校」になった子どもの居場所は家庭に限られることが多く、家族がどのように関わるかということがその後の回復過程に大きな影響を与えます。

 家庭での関わり方として、まずは子どもの「不登校」を受け止めることがとても大切ですが、同時に我が子の「不登校」を受け止める作業がどれほど難しいことかというのは経験された方ならよく分かると思います。

 多くの場合、子どもが学校を休み始めると保護者の方は信じられない気持ちや同時に不安な気持ちを持たれると思います。「不登校」の原因を知ろうとして子どもにいろいろと質問をしたり、助言をすることもあると思います。また、子どもがしんどさを語ったときに、「そんなこと気にしなくていいんだ」というように何とか子どものしんどさを和らげてあげようとすることもあるでしょう。しかしこれらの対応は、子どもの「不登校」に対して保護者の方の不安や戸惑いが大きく、知らず知らずご自身の不安を取り除こうとされているのかもしれません。

 東林館に相談に来られた保護者の方がよく言われるのが「最初は無理やり登校させようとしたんですが…」という意味合いのことです。詳しく聞かせて頂くと、大抵の場合その背景には保護者の方の不安や混乱する心の様子が感じられます。そうやって登校刺激をかけたとしても子どもの抵抗にあったり、周囲の助言を聞いたり、また時間の経過とともに保護者の方の気持ちも落ち着いてきて、最終的には子どもの不登校を受け止めざるを得ない状況になってくることもよくよく聞かせて頂きます。

 我々大人には「学校は行って当たり前」という価値観が根強くあります。ですので「不登校」という言葉に対して否定的な捉え方をしてしまう方が多いのではないかと思います。進むべき道から脱落したとか、道を外れてしまったイメージで捉えてしまう方がほとんどではないかと思います。それが我が子だった場合、自分でも想像してなかったくらいに混乱される保護者の方もおられると思います。また、子どもの不登校がいつまで続くのか分からないという絶望感を抱かれる方もいると思います。

 人間は誰しも自分にとって受け入れがたい出来事が起こると、その事実を受け入れるまでに時間がかかるものです。子どもの「不登校」に対しても保護者の方が事実を受け止めることができるようになるまで時間がかかって当然のことです。

 また、子どもの「不登校」という現実を受け止めていく過程で、保護者の方も気分が落ち込んだり、場合によっては「うつ」的な心の状態になることがあります。保護者の方の話を聞かせて頂くと、「当時、私もしんどくなって…」、「いろんなことが手につかなくなって…」という意味合いのことを語る方もいます。けれどもこのことも決して不思議ではありません。人はショッキングな出来事を受け止めていく過程で「嘘だろう」とか「夢であってほしい」、また、「自分がこうしておけば」などと様々な否定や後悔を試みるものですが、どうしても否定し切れず受け止めざるを得ない段階になってくると、同時に心の状態は沈んでいくものだからです。ですので保護者の方がご自身のしんどさを語られたときに、東林館では決してそのしんどさを否定することはありません。


「家庭での関わり方」

では子どもの「不登校」に対してご家庭でどのように関わっていくかということですが、6つのキーワードに沿ってお話させて頂きます。

1.「抱えること」

まずは子どもの居場所として、家庭が「安心」で「安全」で「ほっとできる」場であることが大切です。「不登校」になり、“せっかく”学校を休んだのに家の中の空気がピリピリしていたりどんよりと暗かったり、また家族から苦言を言われたりすると、子どもたちは再登校に向けてエネルギーを充電することができません。それどころか家の中でさえ例えば自分の部屋にこもりっぱなしになる可能性もあります。

繰り返しになりますが、まずは子どもが安心して家の中で過ごせることが最も大切です。そのために、「抱える」という考え方が必要になってきます。例えば生まれて間もない赤ん坊がお母さんに「抱っこ」されています。やわらかく温かい素材の服を着せてもらったり、やわらかいお包みにくるまれて、そしてお母さんに優しく抱っこされています。赤ん坊は安心してうつらうつらと眠っています。赤ん坊の体と心が少しずつ成長して“ハイハイ”や“タッチ”ができるようになるとお母さんはより目が離せなくなります。だからといって無理やり抱っこをすることはなく、今度は見守る「まなざし」を常に送られています。そして赤ん坊がけがをしないように机の角やドアにはクッション材を取り付けてできるだけ安心して動いたり遊んだりできるように赤ん坊の周りの環境を整えます。赤ん坊はお母さんの優しい「まなざし」と安全な空間の中で自由に動くことや遊ぶことができます。逆にお母さんのまなざしが不在になると、赤ん坊は不安で遊ぶことができなくなるということも出てきます。乳幼児に対する「抱っこ」や「まなざし」はまさに「抱えること」そのものです。できるだけ「安心」で「安全」を保障してあげて、自由に動いたり休んだりできる空間を提供しています。そしてこの抱えられた環境の中でこそ赤ん坊とお母さんの間で行われるいろいろなやり取りが生き生きとしたものになってきます。

思春期の子どもであっても、この「抱える」というイメージを持って関わることが大切です。もちろん実際に抱っこをするわけではありませんが、「不登校」になり不安や焦り、やるせなさなどいろいろな気持ちを感じながら過ごしていることに想像を巡らせ、家庭の中で「抱える」という感覚を大事にしながら見守っていくことが必要です。

2.「しっかり聴くこと」

 当たり前のことかもしれませんが、子どもの発する言葉にしっかりと耳を傾けることが大切です。話をただ「聞く」のではなく、どういう思いから発せられている言葉なのか、何を意味している言葉なのかということを、こちらも心のエネルギーを働かせ想像を巡らせながら「聴く」という姿勢が大切です。また、子どもたちは保護者に対していつでも話をしてくれるわけではありません。保護者がたずねたからといって、自身の「不登校」について学校や友人のこと、その他自分の考えていること、悩んでいることなどを包み隠さず自分の言葉で語ることはほとんどの場合ありません。東林館の面談で私たちが生徒と話をするときに、初めから包み隠さず何でも話す生徒というのはほぼいませんし、もちろんその姿を望んでもいません。まずは前述した「安心」で「安全」な空間であることを味わってもらい、また担任と生徒という二者関係を構築していくことを意識しています。関係性ができてくるまでというのはどの生徒も時間がかかるものだと思っていますし、そのために定期的な面談を通して一貫性のある関わり方を常に意識しています。ですので最初からずけずけと侵入的に話しかけることもありません。会話の速度もできるだけ生徒のペースに合わせた語り掛けを大切にします。

 家庭でもそうだと思いますが、まずは子どもとの関係性がとても重要になると思います。信頼できる対象であり、否定されず支持的に話を聞いてくれる対象であるということが子どもにとってはとても大切なのです。と同時に、子どもたちは相手がうわべだけではなく本気で自分の話を聞いてくれるのか、本気で関わってくれるのかということに対しても大変鋭く見抜いてきます。

 また、自分の言葉で語ることが上手な子もいますが、そうではない子もたくさんいます。東林館は「不登校」を経験した生徒がほとんどですが、自らの体験を自分の言葉で語るということについて苦手にしている子どもの方が圧倒的に多いのが現実です。こちらもできるだけ想像を巡らせながら時には「こんな感じなのかなあ」とか「こんな気持ちがあっても不思議ないかもね」というような言葉がけをすることもあります。子どもとしては自分の体験にしっくりとくる言葉であったり情緒的な表現のヒントをもらうことで、共感的に受け止めてもらった体験をすることもあると思います。そういったやり取りを一貫性を持った関わりの中で積み重ねていきながら担任との二者関係をゆっくりと構築してもらえたらと思っています。

 また、家庭の中で子どもが自らの「不登校」について話をしたときに、思わず助言をする方も多いかと思います。「先生に相談してみたら」、「気にしないようにしてみたら」と、子どものために様々なアドバイスを考える方もいると思いますが、残念ながら子どもがアドバイス通り動いて登校できるようになるケースはほとんどないと思います。子どもの側からすると、「不登校」に至る過程で、保護者を含め他の人が考え得る様々な方法をいくつもいくつも考えているものです。そうして、どの方法もうまくいきそうにないことを想像し、最終的に「不登校」を選択しているケースがほとんどです。

 ですので、家庭でも子どもの言葉を「聴く」ことに専念するしかないのだと思います。聴きながら保護者の方の心にも様々な感情や思いが沸き起こってくると思いますが、ご自身の感情も否定したりそこから逃れようとすることなく、まずは子どもの言葉をしっかり聴いて受け止めていくことが大切だと思います。子どもたちというのは関わる大人がどんな思いやまなざしで自分の言葉を聴いているのかということにとても敏感です。自分のしんどさを本気で受け止めようとしてくれている、常に支持的に聞いて共感してくれようとしていることを感じることができたなら、一人じゃないんだという安心感も生まれてくるでしょう。そして自分の言葉で語りながら徐々に気持ちも整理がつき始めてくるものです。出口のないままさまよっていた暗闇に少し光が差し込むような感覚になることもあるかもしれません。保護者の方としては「この子が乗り越える力を持っている課題が今起こっているんだ」という気持ちでじっくりと子どもの言葉を聴いて頂けたらと思っています。

3.「“ほどよく”関わること」

 我が子の「不登校」に対して保護者の方の不安からどうしても過剰に関わってしまうということがあると思います。気持ちはよくよく分かりますが、できるだけ子どもが必要としているタイミングと質と量で関わっていただけたらと思います。

 具体的に言うと、子どもの不安が大きすぎて一人でいることができないような状態であれば、できるだけそばにいて安心感を感じてもらえたらよいと思いますし、少しずつエネルギーを取り戻してきて自律的な動きも出始めたらその様子に水を差さずに見守ってみるということです。子どもの状態によっては適切な「抱え方」も変わってきますし、お世話の仕方も変わってくるということです。

 イギリスの小児科医、精神科医であったドナルド・ウッズ・ウィニコットが提唱した「ほどよい母親(good enough mother)」という言葉があります。完全すぎたりいきわたりすぎたお世話ではなく、タイミングよくほどほどに良いお世話をしてくれるお母さんが必要ということです。また、思春期の子どもの心は「自立(自律)」と「依存」の両極を行ったり来たりするものと言われます。少し自律的に動けるようになったと言っても、すぐに甘えて近付いてきたり頼ってきたりということがあっても不思議ではありません。関わる側としても変わることなく心のエネルギーを使いながら子どもを見守っていく姿勢が大切です。

4.「心の年齢を想像した関わり」

 相談や懇談等で「最近、子どもがくっついてくるんです」とか、「一緒に寝ようとするんです」という話を聞くことがあります。そういった時には実際の年齢と「心の年齢」の話をさせていただきます。人が生きていく上で基礎となる「心の土台作り」というのはだいたい3歳までに行なわれるといいます。もちろんその後も様々な発達の課題を体験し、一つひとつくぐり抜けながら成長していきますが、人は心の大きな発達課題を3歳までに体験していくという考え方です。「安心感」や「安全感」、お母さんとの「一体感」、そして「分離の不安をくぐり抜けていく」体験などは3歳までの大きな課題です。そういった体験を積んでいきながら、子どもの心は成長し、3歳くらいになると相手の全体像を「よいところ」も「わるいところ」も含めて一人の人間として見ていけるようになっていきます。

 また、思春期というのは大変心の揺れ動きが激しい時期と言われます。不安が大きくなった時に、3歳までの心の発達課題を改めて再現してそこを再体験しながらなんとか今の不安を乗り越えていこうとすることがあります。ですので、「不登校」を体験している子どもが幼かった頃のお母さんとの一体感を今一度味わいたいという気持ちを再現して、ときに「ぴったりくっついてくる」とか「一緒に寝ようとする」ことがあっても不思議ではないということです。もちろん、今の実年齢は尊重しながら「心の年齢」を想像し、それに合った接し方や言葉がけをしていくことが大切になってきます。

5.「楽しい、うれしい感情を共有すること」

 「不登校」を体験している子どもの心を想像してみると、大なり小なり「孤独」を感じていると思います。学校生活を想像して「自分ひとり」という気持ちになっていても不思議ではありません。ここまで述べたように、「不登校」を体験している子どもにとって家庭での関わり方が重要になることは言うまでもありません。そして、「不登校」で孤独を感じている子どもとの関わり方で特に大切なのが、「陽性感情」を共有することです。もちろん、不安や自分を責めようとする気持ちなども共感してもらうことが大切です。そして、家庭で段々とエネルギーが回復して少しずつ動けるようになってきたら今度は「楽しい」とか「うれしい」という気持ちを一緒に味わい共有してもらえる体験が子どもたちにとっては自信につながっていきます。同時に気持ちが共有されることによって「一人ではないんだ」という感覚も生まれてくるのではないかと思います。大人の方も自身の体験を振り返ったときに、楽しいこと、うれしいことを誰かと共に体験し、その気持ちを共有できた経験があると思います。一緒に笑ったり、一緒に喜んだりした体験です。おそらくそういった体験が生きていく上での自信やエネルギーにつながっているのだと思います。例えば100点のテストをお母さんに見せたらお母さんも自分と同じように喜んでくれたとか、クラブ活動で仲間と一緒に努力して一緒に喜び合ったりだとか、会話や遊びの中で友達と一緒に楽しんだ、という体験です。

 たとえ子どもが「不登校」を体験していても、家庭の中で一緒に楽しんだり、喜んだりする場面はきっとあるはずです。決して特別なイベントを準備する必要はありません。日常の些細な出来事の中で一緒に笑ったり楽しんでいただけたらと思います。

6.「保護者の方の心が安定していること」

 子どもたちというのは特に保護者の方が「どんな心の状態でいるか」ということと「どんなまなざしで自分を見ているか」ということに対してとても敏感です。そして例えば保護者の方がイライラしていたり、暗い気持ちでいたり、疲れ切っていたりすると、その様子を敏感に察知して子どもの心にも不安が沸き起こってくるものです。また、「不登校」をしている子どもというのは保護者の方から「休んでいいんだよ」と言われたにしても、「お母さんは本当はどんな気持ちでいるんだろう」と相手の気持ちを洞察しようとするものです。自分の「不登校」を許してくれているのか、心から認めてくれているのかということについて半信半疑であっても不思議はありません。

 ですので、「不登校」を体験している子どもが家庭の中で元気になっていくためには、保護者の方の気持ちが安定していることがとても重要になってきます。子どもの話を聴くことも、その話に共感し気持ちに寄りそうことも、まずは保護者の方の心にゆとりがあることが大前提になってきます。逆に保護者の方の心が不安定でゆとりがなければ、子どもが動けなくなっていくというのもよく聞く話です。

 保護者の方が家庭で安定した心でいて頂くためにはいろいろな努力や普段からの心掛けが必要になってくると思います。例えば母親というのは色々な側面を持っています。母であり、妻であり、場合によっては労働者でもあります。日々の生活の中でいろいろな役割を果たしながら同時にストレスがかかる場面も多々あると思います。そういったストレスとの付き合い方や軽減の仕方というのは人それぞれだと思います。どうやって気持ちを整えて子どもと関わっていくかというのは保護者の方全員に共通するテーマだと思っています。

 ですので、東林館では二者懇談で保護者の方の気持ちをしっかりと聞かせて頂けたらと思いますし、また、「保護者会」などで子どもとの関り方について一緒に考えさせて頂けたらと思っています。「不登校」の子どもが感じている「孤独感」を保護者の方も感じていることがあります。東林館で「保護者会」に参加された方が、「自分だけじゃないことが分かって安心しました」という感想をよく口にされます。

 「不登校」をしている子どもが家庭の中で安心して過ごし、少しずつエネルギーを回復していけるよう保護者の方にはなるべく安定した気持ちで過ごして頂けたらと思っていますし、そのために、例えば東林館の懇談会や保護者会などをご利用いただけたらと思っています。


まずはご相談を

 以上のように家庭での関わり方を中心にいろいろとお話してきましたが、実際に子どもと関わるときにはいろいろと難しい点もあると思います。親子の関係を再構築していこうとしてもなかなかうまくいかないことも出てくると思います。頭では分かっていても、実際に我が子と関わると冷静でいられないときもあるでしょう。ですので、子どもの「不登校」について保護者の方も一人で抱え込まずに、まずはご相談いただき一緒に考えさせて頂けたらと思っています。

NEW≪「じゃけどしたんな」(喜田三津雄 前学校法人喜田学園理事長 著)より≫

最後に、東林館グループの創始者である喜田三津雄前理事長が自らの教育活動を通して書いた著書「じゃけどしたんな」(2000年発行)の中で分かりやすく説明していますので引用させて頂きます。

『いったい、家庭にある教育力とは何でしょう。家の中でお父さんの気持ちを誰が語るのか。お母さんの言いたいこと、おじいちゃん、おばあちゃんが話したいことを、誰が伝えればいいのでしょうか。これは、たとえば、父親の気持ちを母親が、母親の言いたいことは、父親が語るんです。もし母親が、悪い事をした子どもに、「私はあんたのために、こんなに心を痛めている」と自分で自分の気持ちを語ってしまったら、子どもにとっては、ただの説教になってしまいます。「どんな気持ちでお母さんがお前の事を叱ったかわかるか?お母さんは、お前のことを心底、大切に思っているんだぞ」と、父親が、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんが母親の気持ちを語ってはじめて情として子どもに伝わるのです』

『東林館には、子どもについていろんな悩みをかかえた親御さんが相談に来られます。そんな中で、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、家族全部そろって相談に来られるご家庭は、もう一目見た瞬間に、「あ、ここはすぐに(子どもが)良くなる」って分かります。だってそうでしょう?どこの家でも小さないさかいはあるものです。その家だって、嫁、姑のもめごと、あるかもしれません。だけど、家族皆がそろって相談に来るというのは、もめていた嫁、姑が、いざ子どものことになるとちゃんと手がつなげるということです。家族がみんな手をつないでいる。つまり語られているということなんですよ。』

『子どもだって同じです。子どもは、当たり前のことを普通にしている時に評価してやらなかったら伸びません。これはどういうことかというと、「お前のことはちゃんとよく見ているよ」「いつも見守っているんだよ」ということを子どもの心に伝えるわけです。気持ちのない相手に対して人は関心を持ちません。逆に、愛しく思う相手にはどんなささいな事にでも目や心が向くでしょう?つまり、当たり前のことを誉める、誉めることができるというのは、それだけその子への関心が、ちゃんと備わっていることの証で、なおかつ、それを伝える(誉める)という具体的行動を伴うことによって、「あなたの存在そのものが、私にとってしあわせ」というメッセージを、子どもの心に送ることになるのです。繰り返しますが、だからこそ、当たり前のことを、普通にしている時に評価してやることが大切なのです』

(第一章 1.「たこつぼ」より)



『「転ばぬ先の杖」をされてきた子は、当然、周囲で摩擦が起きないので、ある側面では優しい子になります。しかし裏(本質)を見てみると、甘さとぬるさしかない子になっていきます。人生ではいろんなことが起こります。大きな壁にぶつかると、人間は迂回路を探します。あれはダメだったから、今度はこうしたらどうだろうか。などと、いろいろ模索するじゃないですか。ところが「転ばぬ先の杖」をされてきた子は壁の手前で逃げるのです。がまんすることを体験せず、いつも周りの大人がその子のしんどさを肩代わりしてやっていると、まず、間違いなく、しんどいことを避けて通る子になりますよ。』

(第三章 2.「転ばぬ先の杖」~がまんについて~ より)



『私は子どもへの愛情がある限り、親のすることに間違いはないと思っています。その瞬間、その瞬間はいくら間違いを繰り返しても、それをつなぎ合わせた時に、必ず、真っ直ぐな道を進んでいるものです。しかしそれには、ただひとつだけ条件がいる。そのひとつの条件がなかったら、間違いは、間違いのままで終わってしまいます。それは何かというと、「諦めない」ということです。』

(第三章 4.「情は知にまさる」 より)



『私は東林館には、絶対の自信を持っています。東林館の教育は「卒業のシステム」と「自立のシステム」の両輪で成り立っています。「卒業のシステム」を柱にしているのは、「東林館高等学校」。かたや、「自立のシステム」を担っているのは、各種学校の「福山東林館」です。このどちらが欠けても、東林館の目指している教育は成り立ちません。この二つの学校が一体となって機能するシステムを取っておりますので、東林館高等学校に入学した生徒は、自動的に福山東林館にも籍を置くことになります。』

『心を閉ざした子が、集団の中に居場所を見つけるまでに回復するには、やはり時間をかけないといけません。東林館に通い始めたからといって、すぐに、先生たちに心を開くわけではありません。~中略~「かん黙」といって、頑なに心を閉ざしてしゃべることができない子がいます。その子は、私が声をかけても、以前は下を向いたままだったのが、最近、「おはよう」と声をかけると、表情が動いて、笑顔を返すようになりました。感激なんですよね。四十過ぎのツラ下げて、もう、浮かれるんですよ。「笑った!」って。なんだか恋をしてるみたいでしょう?そしてその次は「おはよう」が言えるようになる。それでまた感激する。』

『不登校については、本当にいろいろな考え方があります。傷ついた子ども達の“居場所”を学校の外に求める考え方もあります。しかし、学校の中で傷ついた子達が他の場所で癒されると、学校不信、人間不信が、いつまでも心の根っこの部分に残ったままとなってしまいます。本当に心の回復を願うなら、学校の中で傷ついた子達だからこそ、学校の中で癒されてほしいと思うのです。』

(第四章 「私の歩みと『東林館』」 より)

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